先日亡くなった俳優の宍戸錠さん(享年86)の晩年の様子が解ってきました.
2013年2月に自宅が火災にあい全焼の被害を受けて以来,「起きたことは仕方がない」と前向きに生きてきた宍戸さん.
今年1月18日に亡くなる直前は,いったいどういう様子だったのでしょうか.
ニュースになっていたので見てみました.
宍戸錠の晩年の様子は?
宍戸錠は若い頃からスターだった
日活黄金時代を担ってきた宍戸錠さんの映画デビューは1955年です.
それ以来500本以上の映画に出演し,ガンアクションが達者で「エースのジョー」のニックネームで人気者に.
またその傍らでテレビのバラエティなどの司会も努めて,広い世代に愛された俳優さんです.
昔日の俳優らしく「豪快」で鳴らした宍戸さんは,銀座や六本木での夜の遊びもかなり派手だったようです.
まさにスターだった方です.
宍戸錠は地元に愛された庶民派
そんな宍戸さんは,自宅がある東京・仙川では,近隣の住人にも愛される「庶民派」だったようです.
「ジーンズ姿で商店街を闊歩する宍戸さんの姿はまるで“仙川のチャールズ・ブロンソン”と評判でした。ある晩、近くで酔ったサラリーマン同士のケンカがあったのですが、偶然通りかかった宍戸さんがわざわざ仲裁に入っていったんです。『ケンカしてもケガするだけでつまらねえよ。やめろやめろ!』と、その場を収めていました」
Yahooニュースより引用
こういう人が地域にいると,すごく助かるんですよね.
我々がケンカの仲裁に入っても,どこか説得力がないと言うか,その場を収めることなどできません.
しかしオーラを纏ったスターが現れれば,大概はその力(暴力ということでなく)の前では,おとなしく引き下がりますよね.
宍戸さんが日に2〜3回ほど買い物に現れるコンビニがありました.
そこの店員さんが語るには,
「宍戸さんは、日に2~3回は買い物にいらしてました。宍戸さんの食事のほとんどはうちの商品だったのではないでしょうか。宍戸さんも冗談交じりに『俺の体はさ、ここの弁当でできているんだよ』とよく言っていました」
とのこと.
3食はコンビニで調達されていたのですね.
亡くなる前日に宍戸さんと会ったという方は,宍戸さんの方から「よ,元気かい」と声をかけてきたそうです.
その方が「元気ですか?」と問い返すと,「俺はまぁまぁだな……」と笑って答えたそうです.
亡くなる前日での様子では,亡くなる前兆などはなかったのでしょうかね.
これらのエピソードを知ると,ちょっと切ないですね.
ただ,そんな生活の中でも「笑顔」と「人を思いやる心」は持ち続けていらしたのだなと感じます.
宍戸錠の自宅が火災で全焼
2013年2月に1966年以来住んできた自宅を火災で全焼する悲劇が襲います.
古い電熱器のコードが原因と消防署は特定しています.
全焼した現場をテレビのワイドショー番組のリポーターを案内したり,気丈なところを見せていました.
その時思ったのが,「お金があるから余裕なのかな?」などと思ってしまいましたが……
この火事においても,後に辛い話があるようです.
宍戸さんは「まあたぶん,あの土地は売ることになると思うよ.(その前に)おれが死んだら土地は長女のところに行くだろ.他の奴(2人の息子)にやるつもりはないし,頼るつもりもない」と語っていました.
宍戸錠の妻や息子,娘は?見て見ぬふり?
宍戸さんは,2010年に約50年連れ添った,游子夫人(享年77)を亡くしています.
それ以降は,火事が起きるまでは大邸宅に一人で住んでいたようです.
(游子夫人が亡くなった翌年に愛犬も亡くなっています)
この悲しい出来事以降,宍戸さんの子供たちはどうされていたのでしょうか?
宍戸さんの子供たちは,長女のエッセイスト・紫しえさん(55),長男の俳優・宍戸開さん(53)、次男の3人です.
紫しえさんは宍戸さんのマネージャーを勤めていたことから,子供の中では常に顔を合わせていたようです.
息子2人とは疎遠になりがちだったかと思いますが,特に長男・開さんとは深い溝があったようです.
2010年に開さんが子供連れの女性と「黙って」結婚したことを機に,断絶状態だったとのことです.
「土地は2人の息子には渡さない」という言葉がすべてを語っています.
一方で長女しえさんの言葉によると,宍戸さんは,しえさん,しえさんの旦那様,そしてしえさんが2019年春に預かった「里子」と一緒に暮らしていたそうです.
「里子」ちゃんは宍戸さんのことを「じーじ」と呼び,宍戸さんも「この子はいい俳優になれる」とアクションを教えていたようです.
ちょっとコンビニ飯の記事との整合性が取れない気がしますが,宍戸さんの密葬について,しえさんが日活を通して報告した内容によると「穏やかに過ごしておりました」となっていますので,間違いはないと思います.
宍戸錠さん死因は虚血性心疾患 晩年は穏やかな日々 – シネマトゥデイ https://t.co/2OxgKCnQCC
— 紫しえ (@essayistSHIE) January 23, 2020
見て見ぬふりなんて,そんな鬼畜なことはしませんよね!
宍戸錠の晩年の様子に世間の反応は?
■日本は周辺アジアのように気軽にいける屋台や食堂がないから、
どうしてもスーパーやコンビニになってしまうよね。
それを孤独と片付けてしまうのは、ちょっとひどいかな。ケアホームにはいる選択もあっただろうけれど、
ひとりで気兼ねなく暮らし死んでいったことの人生も尊重すべきかと。■「一人暮らしで亡くなる→孤独」というのは古いと思う。配偶者に先立たれた、元々 結婚しなくて自立していた等、多くなっている。
むしろ 一人でも ぎりぎりまで自分の生活を全うできていたら 生ききった!!…と思うけれど。■子供の独立も配偶者の死も、ある程度の年齢になれば当たり前。80代後半であれば男女ともに自炊がキツくなる年齢だろうから、3食コンビニ弁当もあることだと思う。献立が決まってる配食サービスより、自分の好きなものを選べるコンビニの方が良いって人もいるし、亡くなる前日までコンビニに買い物に行けるってことは、食欲があって足腰がしっかりしてる証拠。子供が巣立ち、配偶者に先立たれ、暮らしやすいサイズの賃貸住宅で、ご近所さんと仲良くしながら暮らす。理想のピンピンコロリだと思うんだが…。
まぁ、自業自得で本当に孤独な方もいるとは思うが。
■コンビニ弁当…
孤独な老人…
孤独死…、
一般的には暗いイメージには違いない…
だけどね、宍戸錠さんはやりきった感じがする、敢えて言えば生ききったって感じがする。
少なくとも今、宍戸錠さんについてコメントを打っている私は直接お会いもしていないが、宍戸錠さんの映像を頭に画いている…
それだけでも羨ましく思える人生だと思う。
ご冥福をお祈りします。Yahooニュースより引用
家族や高齢者の一人暮らしなど,日本が抱える問題と重ねて見ている方も多いみたいです.
あと,「晩年の様子」の記事に対する批判的な意見も見られますね.
ただ単に「悲劇」として書かれている印象を受ける方が多いようで,「悲惨でもなんでもないじゃん」って意見が多いみたいですね.
まとめ
宍戸錠さんの晩年の様子を伝えるニュース記事をもとに書かせていただきました.
文字面だけでは悲壮感がありますが,実際には「孫」と思える存在もあったし,地元の方々との交流もあったようなので,あながち悪い晩年ではなかったのではないでしょうか.
最近は昭和のスターがだんだんと減ってしまい,本当に一時代が終ってしまうのを実感します.
子供の頃から見てきた方々なので,寂しいですね.
最後までお読みいただきまして,ありがとうございました.
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